公務だより
2010年7月更新分
今までご案内してきました「水土里の便り」は中止することにしました。
定例議会の報告を中心とし「根本便り」として年4回の発行を計画しています。
清須市の抱える課題を今までより、掘り下げて詳しくご報告するためです。
よろしくお願いします。根本憲生拝
根本便り 2010年6月号 1面
根本便り 2010年6月号 2面
2007年7月更新分
合併して2年
旧3町の融和策を優先した行政運営となっています。
合併協議の妥協ともいえる約束ごとが多いのです。
3町の持てる力を「1+1+1=3」と融和するだけでは、合併しても「なーんにも
ええことない」と酷評されます。
「1+1+1=5にも6」にもなるよう、相乗(シナジー)効果を出せる
体質が求められます。
それぞれが率先して意識改革(パラダイム転換)をすることです。
清須市議会も会派が出来ましたが、対立するのでなくシナジー効果が
出せる議会をめざしてしっかりと協議するべきではと主張しています。
平成19年3月に、第一次の清須市総合計画が公示されました。
清須市の今後10年間のあり様を総合的にとりまとめた計画です。
着実に実行すれば、必ず誇れる清須市になる計画です。
プロジェクトごとに人材(やる気の職員や住民)を横断的に生かすことです。
期日を決めて実行することです。絵に書いた餅にしてはなりません。
次世代への責任です。
オランダの農民は、海面より低い土地を耕しています。
溝を掘って塀の代わりにし、橋を架けて門にしています。
風土に合った生活の知恵です。
2年間をふり返ると選挙、選挙、選挙でした!
平成17年の7月に清須市となって初の市長選挙
旧新川町長の加藤氏と現職3期の県議を辞して立候補した
民主党公認、渡辺氏と共産党ベテラン候補の選挙戦となりました。
加藤、渡辺氏のマニフェストは同じようなものでした。
渡辺氏とは、初県議選に応援したことや故木村繁先生に
御世話になった関係もあり、連日にわたり手伝いをすることになりました。
加藤陣営は、旧3町の町長や助役、ほとんどの団体や議員をとりまとめ、
組合組織の支援も得て磐石の態勢でした。渡辺候補は次点に泣きました。
平成18年4月に、清須市となって初めての市議会議員選挙
私は無所属で立候補、定員24名に38名の立候補者となり、
票読みが出来ず大変に厳しい選挙でしたが、お陰さまで当選できました。
「根本のりたか」選挙公報で表明した4つのこと
一、 税金のムダ使いには厳しく、情報の公開と説明責任を徹底させます。
二、 五条川と雨水貯留施設の整備、内杁の自動化を働きかけます。
三、 環境問題に官民一体となり取り組み解決するよう務めます。
四、 美濃路を安心して歩ける道路に再生するため努力します。
平成18年5月から毎週ごとにEメールやFAXを使って「根本のりたか」の
「お知らせ」を配信しています。
自らの活動を自らチェックし毎週リセットするためでもあります。
6月29日現在で54号の発信となりました。
ご希望のむきは、私のメールアドレス nori@noritaka-n.com か
電話052-409-5565までお知らせ下さい。
平成19年4月、旧西春日井郡選挙区(定員2名)の県議会議員選挙
渡辺氏は、民主党の公認も推薦も得られず無所属で立候補しました。
自民党公認のベテラン県議と民主党が公認した新人候補との三つ巴の
選挙となりました。
清須市会議員として友人として渡辺氏を応援しました。
市民型選挙で善戦はしたものの、県議会10年の経験と実績は、
政党組織力の前に沈みました。
渡辺氏は民主党へ復帰する道を塞がれたようです。
今後のことについて本人から具体的な話は聞いていません。
政治の世界は、「一寸先は闇」と言われます。何が起こるかわかりません。

2005年11月25日更新分
まず身を削る努力を!
清洲町、西枇杷島町、新川町の3町は歴史的な合併をし、7月7日から清須市としてスタートします。合併特例法の恩典により、「根本のりたか」は、選挙をすることなく清須市の市会議員となります。
来年の4月30日までの任期です。住民の代弁者として努力してまいります。
合併は目的ではない手段である。良い合併をすることが大切とも言われてきました。合併が出来た今こそ、どうして合併をする必要があったのか。皆様と共に確認しておきたいと思います。
国と地方の借金は、膨大な金額にのぼり、税金のあり方、税金の徴収の仕方、税金の配分の方法など、三位一体で見直さなければ、国力は落ちるばかりか危機的な状況になると予測されています。
国は、財政再建への道筋の一つとして、地方分権の名のもとに、地方へバラまいてきた税を大幅に減らそうとしています。その切り札として市町村の合併を特例というオマケ付きで奨励してきたわけです。小泉総理の骨太の改革も第五弾まで撃たれています。しかし、あいも変わらず官僚と守旧派の抵抗が強い上に、国民的な合意も今ひとつ曖昧と言われています。
清須市でも断行しなければならないのは、行財政の改革です。やはり守旧派の抵抗は強いでしょうが、とにかくスピードをあげて実践することです。子供が少なく、お年寄りの多い世の中になるのを避ける手立てはありません。だからこそ行政体質の転換は避けて通れません。住民参加のもと、ガラス張りにした協議のなかで、改革の手順を決めて断行することです。
まずは、行政関係者の意識改革です。議会のあり方も問われています。市議会のチェック機能を強化することです。従来から続けてきた議会慣習を見直すことです。守ることと廃止することの道筋をつけることです。
3町は合併したものの、内容は荒削りです。これから仕上げ作業に入るわけです。合併協議にしても壮年の声、若者の声はけっして届いているとは思えません。
住民は欲張りです。全国ブランドの清須市にふさわしいリーダーを待望しています。それも今度の清須市長選挙の位置づけの一つととらえています。だからこそ改革に意欲的な働き盛りの広い見識を持った政治家に託したいと考えています。
新清須市長に求められるのは、旧態としたしがらみや体質を打破することです。いずれにしろ、新しいリーダー、市長を決めるのは有権者です。有権者がどのように判断されるかにかかっています。
2002年9月からメール配信してきた合併メモ考は、今回の70号でひとまず終えます。7町から6町、そして4町から3町の合併へと漕ぎつけたわけです。関係者のご努力に敬意と感謝を示したいものです。ありがとうございました。

2005年4月24日更新分
清洲、西枇杷島、新川町の議員は、7月7日からは清須市の市会議員に自動的になれます。どうして市長選挙と一緒に選挙をやらないの? 市会議員の定数は24名と誰が決めたの? 町ごとに選挙区を決めて、8名づつ選ぶ選挙をしろとどの議員が言っているの?
合併の特例を利用して来年の4月末まで、各町の議員は、引き続き清須市の市会議員を務めると決まっています。清須市全体で選挙をして上位の24名を選ぶのか? 町ごとに選挙区を決めて選ぶのか?西枇議会の強い意向を尊重し、清須市になってから議会で決めると先送りされています。
各町で選挙区を設けてという選挙は、有権者にどんなメリットがあるのでしょう。選挙法の趣旨や過去の行政実例(判例)などを参考にしても余り無いと判断せざるをえません。3町の面積は狭く、人口も6万人を満たしていません。密集もすすんでいます。選挙区を設けて選挙をするべきという議員は、その理由を有権者に説明する必要があると考えます。
清洲、西枇杷島町の合併委員からランドセルの配布には反対との声が出ています。清須市になったらランドセルを配布しないという合併調整案が出ました。新川町では、小学校入学児童に機能的なランドセルを配布しています。大変好評で続けて欲しいという声が圧倒的です。
清須市になって全入学児童に配布したところで300万円もあれば足ります。税の無駄遣いでしょうか。この問題こそ急いで結論を出すべきではないと考えます。今年中に結論をだせばいいのではありませんか。とにかく実物をご覧いただき、2町の関係者の再検討をお願いいたします。
土器野新田や助七新田の住居表示はどうなるの?住所印や書類などの変更はどうしたらいいの?
新田を無くすということで決まっています。5月に広報でご案内することになっています。
根本の住所を例にすれば、 清須市土器野173-1 土器野の読み方は、どきのです。
清須市になったら、3町を通る美濃路を見直す機運を盛り上げたいものです。今のままで良いという方は少ないでしょう。美濃路を地域の道として取りもどす視点から論議をする必要があると考えます。まず3町の幹線道路をつなぐ一貫した整備計画です。名糖の前に橋を架け、JRの下をくぐって古城の信号へつなぐ路線を早期に整備することです。
美濃路にしても、古い町並みをただ保存すれば良いということでもないでしょう。しゃれたトイレなどを作れば良いという簡単なものでもないでしょう。住んでいる人たちが生き生きと活動できるような路に再生させることです。具体的な方向性を住民参加で早く決めることです。3町でその作業をすること自体が、3町の一体化につながる近道の一つと考えます。
“伝統を受けつぐことは、過去にしがみつくことでなく、あくまでも前向きの姿勢を崩さないことだ。”
白州正子さんの言葉です。温故知新することの深意を良く表しています。

2004年12月25日更新分
三町による合併協議会は、25の協議項目すべてを確認しました。12月15日に知事の立会い署名のもと三町長により合併調印が行われ、24日には各町の議会で合併承認議決が行われました。いよいよ7月7日から清須市としてスタートすることになります。
住民の声や意見をどう汲み取って進めたらいいのか。住民説明会にしても決して満足のいく形で行われませんでした。すべてが初めてのことばかり、時には激しい議論をしながら進めたわけです。住民の関心が盛り上がらないのに苛立ちを感じた時期もありました。
確認された25の協議事項の中には、合併してから調整するとか協議するとした事項も多々あります。協議会は、協議する事項を事前に提案する方式をとってきました。事前に提案された合併協議事項は、もちろん非公開ながら各議会の全員協議会でも意見集約されながら進んだわけです。
議会は7月7日の合併にむけ、また、合併後の在任特例期間10ヶ月の間に住民を代理して積み残した協議事項などの調整協議に入ることになります。同時に住民に対して10ヶ月の議員定数特例を決めた理由、また選挙区にしても町ごとの選挙をという西枇杷島町議会の意向で先送りした事情について説明する責任があります。
新川町では、清須市に続く字名をどうするかという問題が先送りされています。大字を無くすことは確認されているのですが、その後に続く字名、たとえば土器野新田、助七新田について、新田を無くして、ただの土器野、助七にして欲しいとか、通名の坂町、東町にとか、いろいろな声があります。この問題に取り組まなければなりません。
また、清須市になってから下水道事業を行うより100億円ほど負担が少なくなるといくことで、急きょ高岳製作所の跡地に流域下水道の終末処理場を建設する計画になりました。国の補助を受けて愛知県の事業にしようとするものです。
12月20日に財務省の内示を受け道筋がつきました。しかし、国の三位一体改革の成り行きによっては一面で流動的な部分も残っています。が、進めなければならない社会基盤整備事業であることに変わりありません。この上は、環境面の対策は当然として雨水対策や周辺整備などを通し地元の発展につながるような施設になるよう働きかける必要があります。

2004年11月11日更新分
平成14年(2002)9月議会で、西春日井郡7町で合併するという話しが急に降ってわいたように出てきたのです。隣町の西枇杷島では、名古屋市への編入合併を望む声が強いのです。すでに行われている調査から新川町では、西部4町の合併を望む声が多いのです。それなのに、どうして7町合併なのでしょうか?
情報の公開、お知らせ広報もまだまだ不十分、説明責任も曖昧です。新聞の果たす役割は大きいのですが、中日新聞には、尾張版と市内版があり、新川の左岸にある東町、坂町、中河原、下河原地区は、西枇杷島と同じように市内版の新聞を購読される世帯が多いのです。
合併のことや西春日井郡の出来事は尾張版に書かれているのです。市内版の購読世帯は、尾張の事情に疎くなります。西枇杷島の議員からも尾張版に書かれている西枇議会の動向をたずねられるほどですからね。
と言って、便りを作る労力と費用、そして配ることに余りにも多くの時間がかかります。遅まきながら、新川議会の広報紙も記名式となり充実してきました。議会報告はこれを読んでいただければ分かります。しかし、行政の抱える表面に出てこない問題などはともすれば書かれません。合併問題などは、まったくその典型です。
合併メモ考をFAXとメールで配信しよう。限られた先だけになりますが、タイムリーに出せます。すぐやれです。DO
IT NOWです。補いは自動車で街宣しよう。友人に頼んでスピーカーを取り付け、流し街宣用のテープも吹き込みました。
合併メモ考ー1 平成14年9月20日付の始まりです。平成16年10月22日付けで62号まで続けています。西部3町で来年の7月7日には清須市として合併しようという話まですすんでいます。
